1994年のJGTC開幕から現在まで数多くの熱戦が展開されたSUPER GT。その熱戦は2019年までで13カ所のサーキットで行われてきました。このシリーズは開催サーキットを紹介します。今回は、2度の危機的状況から蘇ったオートポリスを特集します。
歴史
オートポリスは1990年、大分県日田郡上津江村に九州唯一の国際サーキットとしてオープンしました。
サーキット以外にホテル、美術館、博物館が併設されており充実した設備で話題となりましたが、1992年バブル崩壊により運営会社が倒産。
債権者であるゼネコン企業が「大分阿蘇レーシングパーク」に名称を変えて営業を継続しましたが経営は成り立たず、90年代中頃にはサーキットは存続の危機に立たされました。
1996年には上津江村に無償譲渡され、第3セクターによって走行会やアマチュアレースの開催で運営は続けられました。この時に名称は「オートポリス」に戻されています。
しばらくはビックレースは開催出来ませんでしたが、徐々に経営が上向くと2000年代初めからJGTC(SGT)、スーパー耐久、フォーミュラニッポン(スーパーフォーミュラ)、全日本ロードレース選手権、FIMアジアロードレース選手権、D1グランプリなどビックイベントも開催されるようになり存続危機から脱却することに成功しました。
2005年には川崎重工がサーキットを買収し、同社の開発用テストコースとして活用する一方で、全日本格式をはじめとする各種レースイベントも継続して開催されています。
コース特性
全長4,674mの長さを誇る国際公認コース。ホームストレートは902m、高低差は52メートル、最大上り勾配7,2%、下り勾配10%のアップダウンの激しいテクニカルコース。
その為タイヤには厳しく、以前のJGTCでは2ストップ作戦を採用するチームも見られました。
また、このコースはピットがコースの外側にあるのが特徴です。
国際コース内側には全長1,760mのレイクサイドコースがあり、国際コースの最終コーナー外側にはジムカーナコースも併設されています。
コースレイアウトはオープン当時から変更はありません。
GT開催について
このサーキットでのGTレースは1999年のオールスター戦が初開催となり、季節外れの雪の中5万人の観衆が詰めかけたという記録が残っています。
その後しばらくレース開催はありませんでしたが、経営に行き詰ったMINEサーキットに代わり2003年からシリーズ戦が開催されるようになりました。
2010年にはカレンダーから外れましたが翌年には再びカレンダーに加わりました。
開催時期はオールスター戦の99年は11月下旬、シリーズ戦では2012年のみ9月末に開催されましたが、基本的に例年10月の開催に固定されてきました。(2013年まで)
最終戦前のラストチャンスという位置づけでレースが行われてきました。
2014年からは開催時期が5月下旬に移動。(2015年は後に10月に日程変更)
レース距離はオールスター戦の99年と東日本大震災の影響で全戦でレース距離が短縮された2011年が250Km、それ以外のシーズンは300Kmで行われています。
中止例
2016年のSGTレースは平成28年熊本地震によりコース、場内施設が破損したことにより中止となりました。
代替レースは最終戦のツインリンクもてぎでダブルヘッダーの形で開催されました。
まとめ
運営会社の倒産、地震と2度の危機的状況に見舞われたオートポリスですが、どちらも危機を乗り越えてきました。
運営、復興に携わった方々の努力にはレースファンの一人として敬意を表したいと思います。
九州のモータースポーツの聖地としてこれからもエキゾーストノートと観衆の大歓声がオートポリスに響き渡ることを願っています。