1994年のJGTC開幕から現在まで数多くの熱戦が展開されたSUPER GT。その熱戦はこれまで13カ所のサーキットで行われてきました。このシリーズは開催サーキットを紹介します。第12回は過去の開催地からGTシリーズ最北の地、十勝スピードウェイを特集します。
歴史
十勝スピードウェイは北海道河西郡更別村にあるサーキットです。
1989年に帯広建設業協会会員が中心となって運営会社「十勝モーターパーク株式会社」を設立し総工費約100億円をかけた北海道内初の国際サーキットを建設。1992年のプレオープンを経て1993年5月5日にグランドオープンしました。
サーキット名称についてはオープン当時は「十勝インターナショナルスピードウェイ」(TIS)と言いましたが、運営会社と同名の「十勝モーターパーク」という呼称も用いられました。その後2010年に現在の「十勝スピードウェイ」に改称しています。
主な開催実績としてはJTC、JTCC、全日本F3000、フォーミュラニッポン、全日本F3、N1耐久(スーパー耐久)の一戦として行われた十勝24時間レースといったレースが開催され、ビックイベントの他にも北海道の地方選手権が開催されてきました。
しかしサーキットへのアクセスの悪さ、北海道という立地からエントラントの輸送費用等負担の大きさという問題がありビックイベントの開催は減少。
2000年代に入るとビックイベントは十勝24時間を除き無くなりました。
更に予想を超えた工費や会員権の販売不振によってオープン当初から経営が厳しく慢性的な赤字経営が続き、1994年に別の企業に運営権を移して賃貸事業のみを行っていました。
ですが、経営は好転せず、所有権と事業譲渡の交渉が決裂した2009年に「十勝モーターパーク株式会社」は100億円の負債を抱えて倒産。サーキットは存続の危機に立たされました。
先行きが危ぶまれたサーキットでしたが、その後携帯電話向けビジネスコンテンツ、ゲームコンテンツを制作する「MSF株式会社」がサーキットを取得し存続が決定。
現在は、MSFがサーキットの運営を行っています。しかしこの影響により十勝24時間も2008年を最後に開催休止となり、公式発表こそありませんが、現在のSUPERGTが十勝サーキットにて開催される可能性は、ほぼ消滅しています。
コースの特徴
北海道内唯一となるFIA公認サーキットであり、5,100 mのグランプリコースと、グランプリコースを3,400 mのクラブマンコースと1,700 mのジュニアコースに2分割して使用する計3コースのバリエーションが存在します。
グランプリコース
クラブマンコース
ジュニアコース
ビックイベントではグランプリコース、もしくはクラブマンコースが使用されます。
コース幅は13.5m~15m。高低差は最大15mと日本国内では例を見ないほぼフラットなコースレイアウトとなっており、メインスタンドからはコースの80 %を見渡すことができます。
全長は国内のサーキットでは鈴鹿サーキットに次いで長く、ホームストレートも富士スピードウェイに次ぐ長さ(1010m)があります。
レイアウトはオープン時から変更はありません。
GT開催について
このサーキットでは2004年7月にJGTC第4戦が行われました。
この年は富士スピードウェイが大規模改修工事で使用できず、その代替地として十勝でレースが開催されることになりました。
これにより十勝はGTレースが開催されたサーキットとしては最北の地となりました。
レースはクラブマンコースを使用し89周300kmで行われ、GT500ではフェアレディZをドライブする影山正美選手&ミハエル・クルム選手組が、GT300はGARAIYAの新田守男選手&高木真一選手組が優勝。
新田選手はこれがGT300通算10勝目となり、文字通り「十勝で十勝」ということで話題になりました。
シリーズがSUPER GTとなった後は他のカテゴリーと同じくエントラントの負担が大きいという理由でレースが開催されておらず、現在十勝でGTレースが開催されたのはこれが唯一のケースとなっています。
まとめ
十勝スピードウェイは設備はビックイベントに十分対応出来るものがありながら、立地の面で各シリーズには敬遠されているもったいないサーキットと言えるでしょう。
SUPER GTでは毎年海外でレースが開催されていますが、海外戦は現地オーガナイザーが輸送費用の一部を負担するので、「海外よりも十勝の方が金が掛かる」という声もあるそうです。
加えて一度破産していることで身の丈経営に徹しているのか、大きなレースはなかなか開催されない状況が続いています。
それでも、十勝同様存続危機を乗り越えたオートポリスのようにまたビックイベントが開催されることを願わずにはいられません。