1994年のJGTC開幕から現在まで数多くの熱戦が展開されたSUPERGT。その熱戦はこれまで13カ所のサーキットで行われてきました。このシリーズは開催サーキットを紹介します。第9回は過去の開催地から元祖魔物サーキット、MINEサーキットを特集します。
歴史
MINEサーキットは山口県美祢市に存在したサーキットで、1972年11月に「厚保サーキット」の名称で開業しました。
開業当時は全長1,300m程の短いコースでしたが、1976年に全長が2,815mまで延伸され、同時に名称が「西日本サーキット」に改称されました。
さらに1991年には大規模改修を行い全長3,330mのコースとなり、この時に名称が「MINEサーキット」となりました。
名称については当時の運営会社の株式会社セントラルパーク山口にちなみ「セントラルパークMINEサーキット(CP MINEサーキット)」とも呼ばれました。
このように最初は小規模なサーキットでしたが、数回の拡張を経て全日本クラスのレースが開催されるようになりました。
ビックイベントだけでなくサーキット初心者や中級者を対象にした走行会やジムカーナ練習会を開き、一般の車好きの人々にも手軽に参加できるイベントも開催されていました。
岡山県のTIサーキット英田とともに西日本のモータースポーツの中心地となっていましたが、2002年夏に運営会社が民事再生手続きへ入り、2003年10月6日に再生手続きの一環として、MINEサーキットの経営権がタカラの子会社であるチョロQモーターズ(CQ Motors)へと譲渡されました。
その後も変わらぬ運営体系が採られていましたが、2006年1月13日、タカラが不採算部門の整理を理由にMINEサーキットを閉鎖すると発表。同年2月28日をもってサーキットとしての歴史に幕を降ろしました。
その後コース、施設はマツダが取得し同社のテストコース「美祢自動車試験場」として使用されています。
コースの特徴
開業当初は全長1,300m程のコースとしてオープン。
1976年の改修では以下のようなコースになりました。
ここまでのコースは国内では珍しい左回りで使用されました。
1991年の改修後のコースは全長3,330mの時計回りのコースで1コーナーの前後に長いストレートを配置するものの、高速コーナーに乏しく、基本的に短い距離のストレートとヘアピンないしシケインの組み合わせで、ブレーキには厳しいコースでありました。
抜きどころに乏しく、実際のレースではコーナリング速度に優れる車両が、ストレートだけ速い車両を抜きあぐねるといったシーンが見られました。また、日本のサーキットには珍しい路面μが低い舗装を採用していたため、外国人ドライバーが得意としており、雨が降ると技術の差が顕著に出るコースで、レース中のアクシデントも多く「何かが起こる美祢」、「美祢には魔物が棲む」と呼ばれました。
日本のサーキットで「魔物が棲む」と言えばスポーツランドSUGOですが、実はこのサーキットの方が先に呼ばれるようになりました。
GT開催について
ここでのGTレースは1994年から2002年までレースが開催されました。
基本的には秋のレース開催で固定されており、94年から96年、01年には最終戦の舞台となりました。
99年はシーズン中盤の7月にレースが行われましたが、それ以外は10月(01年は11月)の開催となりました。
レース距離は94年のみ300Km、それ以降は250Kmで行われました。
フォーミュラニッポンやスーパー耐久は運営会社が代わって以降もここでレースが行われていましたが、GTは03年以降はMINEに代わってオートポリスでレースが開催されるようになりました。
まとめ
現在はマツダのテストコースとして用いられているサーキットです。
既にコースの舗装がサーキット用ではなく一般道用のものに張り替えられており、今後再びレースが開催されるのは難しい状況であると思います。
しかし仙台ハイランドのように跡形も無くなってしまったり、営業終了後放置されて廃墟と化しているサーキットが多い中、現在も自動車産業のなかで活用されているMINEサーキットは幸せと言えるのかもしれません。
マツダには今後ここから名車を生み出してくれることを期待します。