現在まで、ハコ車レースの入門カテゴリーからトップカテゴリーまで精力的な活動を続けている「最強のプライベーター」である坂東商会、またの名を「爆走坂東組」。日本のモータースポーツ業界を語る上では外せないチームである事は去る事ながら、プライベーターとして様々な功績を残し続けている「爆走坂東組」の一から十までを、今回はご紹介します!
爆走坂東組(RACING PROJECT BANDOH)とは?
坂東商会が設立されたのは1983年。現在の株式会社GTアソシエイション(SUPER GTをはじめとする運営母体)の代表取締役であり、SUPER GT GT500クラスに参戦する「LEXUS TEAM WedsSport BANDOH」の坂東正敬監督のお父様である、坂東正明さんが「プライベートでワークスチームの前を走りたい」との目標を掲げ、1990年に立ち上げたレースプロジェクトが、レーシングプロジェクトバンドウなのです。
以前は坂東正明さんが、レーシングプロジェクトバンドウの監督を務めてきましたが、2007年より前述の株式会社GTアソシエイション内の「GTA委員』委員長に就任し、翌年にはGTAの初代社長にも就任した為、監督の座を勇退されました。
まさに「最強のプライベーター」として、長年日本のモータースポーツシーンに関わり続けている爆走坂東組ですが、次は坂東正明さん・正敬さんのプロフィールとエピソードから、その歴史を振り返っていきましょう!
日本のモータースポーツ業界の「ドン」坂東正明
「坂東親分」や「坂東組長」「GTのドン」など、様々な異名を持つ坂東正明さん。
レーシングプロジェクトバンドウをこの方無しで語ることはできません。
1995年、北海道生まれの64歳。大学中退後の19歳でトヨタ東京カローラに入社し、翌20歳でレースデビューを果たします。
当時は精力的に110サニーやKP61などのレースに参戦。様々な職を転々としながらも、28歳の時にライトバン1つで「坂東商会」を設立しました。
当時の坂東商会の主な事業は、TRD(トヨタテクノクラフト)のパーツ卸し。卸しをやりながらプライベーターとしてレースをに参戦してきました。
その後、レーシングチューナーとして業界で名を馳せ、グループA、JTCC、全日本GT選手権へと参戦。GT選手権には1997年に初参戦をし、現在まで継続してSUPER GTにも参戦しています。
本業のレース活動以外にもテレビや雑誌など様々な媒体で活動し、モータースポーツにあまり関係はない、完全な趣味の釣りで、フィッシング雑誌の表紙を飾った事も。腕前はプロ級で、GTAの方々との会食にて、正明さんが釣った魚が振舞われる事もあるといいます。
現在はGTAに運営に専念する為に、有限会社坂東商会・株式会社レーシングプロジェクトバンドウの経営を息子の正敬さんに譲り、SUPER GTをはじめ日本のモータースポーツの発展に尽力しています。
そんな坂東正明さんですが、強面なビジュアルや渋いハスキーボイスの持ち主という事から「親分」や「組長」など様々な異名をお持ちなのですが、それを裏付ける様なエピソードが「レース中に自チームのマシンが、他のマシンと接触しリタイアになった時、リタイアの原因になったホイールを相手チームのガレージに持って行き、怒号と一緒に放り投げ、「カランカラン...カランカランカラン...」と静みかえったガレージに響き渡らせた」と言うもの。
とある番組にて土屋圭市さんが語ったもので、勝利にストイックな性格が伺いしれます。その様に勝利に対して本気で様々な事に取り組む姿勢が、今までの功績を作り上げているのではないかと思います。
破天荒に挑戦し続けるモータースポーツ業界の「イノベーター」坂東正敬
現在の有限会社坂東商会・株式会社レーシングプロジェクトバンドウ代表取締役であり、SUPER GTのチーム監督も務める、息子の坂東正敬さん。
幼少期からサッカーに打ち込み、清水エスパルスのユースチームに所属し、ドイツにサッカー留学。21歳の頃に日本へ帰国し、当時坂東正明さんが経営していた坂東商会へアルバイトとして入社。
小さい頃から車好きという訳ではなかった正敬さんが、今後を左右する「あるドライバー」と運命的な出会いを果たします。
父が経営する坂東商会にアルバイトで入ったのですが、そこで織戸学さんとの運命的な出会いがあったんです。運命的って言っても、社員の織戸さんはいつも犬の散歩や電話番をしているだけで、最初はこの人は何なんだろうって思っていました。
97年、織戸さんがRSRシルビアで走っている時に僕がサーキットに行くきっかけを作ってくれて、初めて富士や鈴鹿など近場に付いて回るようになって、織戸さんのすごさというかスター性に感銘を受けました。織戸さんは常にチューニングカー雑誌に出ている人ですごいとは分かっていたんですが、サーキットではもっとすごいスターだったんです。自分のバイト先にいて、普段は犬の散歩をしている人がサーキットに行ったらスーパースター。その上に坂東正明という父がいる。これってどういうことなんだ? その疑問がレースに興味を持つきっかけになったんです。
織戸さんが出社している時は必ず質問攻め。いろんなことを教えてもらいました。車に関して本当に自分は無知で、レース以外のこともたくさん。洗車しておいてって頼まれた車をボンネットから洗い始めて、屋根から洗わないと洗ったところにまた流れてしまうだろとか、そんなところからの勉強でした。
引用:http://www.enkei.co.jp/
織戸学さんと出会い、一緒に仕事をする様になってから3年のある日。織戸さんと食事をしている時に「レースをやってみてはどうだ」と打診があったと言います。当時の正敬さんは織戸さんの事を「ライバル」と思っていたらしく
織戸さんより運動神経がいいし、語学もできる。本当に負けず嫌いだったんです。
と語っています。
打診があった翌年、ナンバー付きのヴィッツレースに参戦。このヴィッツレースが、正敬さんにとってのレース一歩目、初めての公式戦でした。
自身でのレース参戦経験から、モータースポーツの「一チーム」に興味が湧いたと言います。
レース会場に行くと、トヨタ車なのにタイヤはブリヂストン、シートはブリッド、シートベルトはタカタなど、さまざまなメーカーが混ざっています。スペシャルな世界になるにつれて、ひとつひとつのパーツもスペシャルになって、それぞれのスペシャリストたちが製作しています。そのスペシャリストたちの集まりを活かしてまとめているのがレーシングチームなのかなと、徐々にチームというものに興味がわきました。
引用:http://www.enkei.co.jp/
その後、2003年~2006年までアルテッツァワンメイクレースの監督として参戦し、2007年に監督代行としてGTデビュー。2008年からGTAの運営に専念するお父様の坂東正明さんに代わり、RACING PROJECT BANDOHの監督となります。
翌年の2009年にはGT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得。当時のドライバーは、織戸学/片岡龍也組で、チームは1997年以来2回目のシリーズチャンピオン獲得で、織戸学選手は、坂東正明さん〜坂東正敬さんの親子2代に渡って、12年ぶりに2回目のシリーズチャンピオン獲得でした。
その2年後、坂東正明さんがなし得なかったGT500クラスの参戦を表明。全日本GT選手権・SUPER GTにおいて過去最年少のGT500クラスの監督となりました。
そして、現在2019年まで継続してGT500クラスに参戦しています。
GT参戦紀
GT初参戦の1997年から現在2019年まで22年間、継続して参戦している「最強のプライベーター」であるRACING PROJECT BANDOH・坂東商会ですが、デビューイヤーである1997年に早速シリーズチャンピオンを獲得。壊れにくい上に、常に最高のパフォーマンスを出す事を求められるGTで、参戦当初から安定して「速さ」を見せるマシンを製作してきました。
そんな坂東商会の歴代マシンを、ここで一挙振り返ってみましょう!
1997年 RS☆Rシルビア
1997年にGTシリーズに初参戦し、デビューイヤーでシリーズチャンピオンを獲得した RS☆Rシルビア。
ドライバーは、織戸学/福山英朗組で、GT300クラスに参戦するチーム・マシンが増加してきた中で、国産のマシンでのチャンピオンを獲得した事には大きな意味があると思います。
また、織戸学選手にとってGT初のチャンピオン獲得という事で、ファンの皆様の記憶にも深く刻まれているマシンの1台なのではないでしょうか?
1998年〜2000年 ウェッズスポーツセリカ
この年から「ウェッズスポーツといえばこのカラーリング!」という代名詞な「青・黄色」のカラーリングをまとい始めました。
セリカといえば4WDのイメージが強いと思いますが、このマシンはFF。エンジンはJTCC時代の「コロナEXIV」の2リッターNAの3S-GEエンジンを引継ぎ搭載。
セリカデビューイヤーの1998年は、シリーズ途中からの参戦となりましたが、その速さをいかんなく発揮し、連続表彰台を獲得。最終的にはシリーズランキング2位につける活躍を見せました。
2001年〜2002年 ウェッズスポーツ MR-S
様々なマシンがGT300クラスに参戦していく中で、RACING PROJECT BANDOHが投入したのは、トヨタのMR-Sでした。
MR2の後継車として発売されたMR-SをJGTCマシンにモデファイし実戦投入されたものの、ホイールベースの短さ・MR特有のピーキーな特性から、ドライバー泣かせのマシンだった様です。
エンジンは、2リッター直列4気筒ターボ 3Sエンジン。当時のGT500クラスに参戦し、レース実績のあるスープラのエンジンをデチューンし搭載されていました。
2003年〜2008年 ウェッズスポーツセリカ
1998年から2000年に投入されたセリカ(ST205型)から、モデルチェンジされたZZT231型にシフト。
RACING PROJECT BANDOHとしては、もっとも長く使用されたマシンです。
3S-GTEエンジンや、フロントダブルウィッシュボーンサスペンションなど、多くの要素を前年のGT500スープラから流用し、ST205型と同じくFR化されました。当時このセリカを採用して参戦したのはRACING PROJECT BANDOHを含め2チーム。
2003年のデビューイヤーでは、2チーム合わせて4勝を挙げるなど、速さと結果を見せつけた形だったが、2004年シーズン以降は、他マシンのスピードのボトムアップもあり、コーナリングマシンのセリカにとってはかなり苦戦を強いられました。
2008年〜2010年 ウェッズスポーツIS350
約5年間使用されたセリカから、マシンチェンジをする事になったRACING PROJECT BANDOHですが、次に選んだのはレクサスでした。
IS350というくらいですから3.5Lのエンジンが搭載されると思われていましたが、このマシンには「RV8J」というエンジンが搭載されました。
このエンジンは、2006年からフォーミュラ・ニッポンにて使用されていた物で、言わばレース専用設計のエンジンという訳です。
V型8気筒で3Lのエンジン。そのままIS350に載せる訳ではなく、デチューンされてミッドシップに搭載されました。
IS350の皮を被ったフォーミュラマシンと言っても過言ではなかったのではないでしょうか?
IS350にシフトし2年目になる2009年、RACING PROJECT BANDOHは1997年以来のシリーズチャンピオンを獲得しました。
2011年〜2013年 WedsSport ADVAN SC430
この2011年に、RACING PROJECT BANDOHとして史上初のGT500クラスに参戦する事となりました。
マシンは2006年シーズンに、今までのスープラに代わるGT500専用マシンとして開発された、レクサス SC430。
エンジンは、ベース車の3UZ-FEから、フォーミュラ・ニッポン用エンジンをベースとしたRV8KGに変更されています。
規定によりパワーを抑えなくてはならず、エアリストリクターを用い約500馬力に制御していました。
「エアリストリクター」と言うものは吸気制限装置の事で主に ・エンジンの一定値以上の高回転化の防止 ・出力の均衡化による戦力差の軽減の2つが効果として上げられます。
エアリストリクターは鉄板に穴が開いたプレートで、規定に合わせ制作されています。
SC430はエンジンのみならずエアロやサスペンションのレイアウトを大幅に変更し、最適化を図った車両で戦っていました。
またエンジンの冷却を目的とし、装着されたパーツも多いことがSC430の大きな特徴と言えます。
2014年〜2016年 WedsSport ADVAN RC F
この2014年から、ドイツツーリングカー選手権(DTM)との共通モノコックなど多くの規定統一により、今までのレクサスSC430から、レクサスRC Fへのマシンチェンジをする事となりました。
これにより各車両の性能差がさらに小さくなったことになります。
ベースは2013年に東京モーターショーでお披露目された高性能スポーツクーペのRC F。
エンジンは、スーパーフォーミュラのエンジンの「RI4A」をベースにSUPER GT仕様に変更した「RI4AG」です。 形式は2ℓ直列4気筒直噴ターボと規定で決まっています。
これに伴って、RACING PROJECT BANDOHもRC-Fへスイッチ。ドライバーは「ミスターGT」である脇阪寿一と、前年まで日産にてGT-Rをドライブしていた関口雄飛のコンビ。2016年からは、この年を持ってGTドライバーを勇退した脇阪寿一に代わり、前年までTeam Lemansにてドライブしていた国本雄資とのコンビになりました。
2014年から2016年までのシリーズランキング最高順位は4位。
2015年〜2017年 UP GARAGE BANDOH 86
2015年から、GT500クラスに加えてGT300クラスへの参戦する事となりました。
GT300クラスには、2010年シーズンから約5年ぶりの参戦となり「TEAM UPGARAGE with BANDOH」として、新規各車両マザーシャーシの86を採用し戦いました。
「レーシングテクノロジーの命脈を保つ」事を掲げ、JAF-GT独自の規格として、GTA(GTアソシエイション)が販売しています。
エンジンはGTAが販売する「GTA V8」で、4.5L 自然吸気のV8エンジンで、最大馬力は450馬力以上。GT500やFIA-GTより50〜100馬力ほど劣ります。
2017年〜2019年 WedsSport ADVAN LC500
2016年まで使用していたRC Fから、最新型のラグジュアリースポーツのLCに車両をスイッチした2017年。
エンジンは、昨年と同じモデルである「RI4AG」。このエンジンは、トヨタ/レクサス・ホンダ・日産の3メーカーが策定した「ニッポン・レース・エンジン(NRE)」に基づいており、SUPER GTのGT500車両とスーパーフォーミュラで使用するレース専用エンジンとして開発されました。
前年のRC Fに搭載されていたものからの変化と言えば、ターボの回転が落ちても過給圧を上げられるようにした事や、レイアウトを変更し、エンジンへの吸気温度を下げてエンジンを冷やす事に成功するなど様々な改良を重ねたと言われています。
また、規定によりウイングのフロントスプリッターが短くなり、ディフューザーの高さを半分にし、ダウンフォースを減らすと言うのが決まり、フリックボックス(フロントライトの周り)や、サイドダクト(ドアの下辺り)などの形状を大幅に変更し、空力バランスの優れた車両を作る事に成功しました。
まとめ
いかがだったでしょうか?現在まで「最強のプライベーター」として、日本のモータースポーツ業界にはなくてはならない存在である「坂東商会・爆走坂東組」。
今回、坂東商会さんの記事を執筆する事となったのは、代表である私が偶然目にした現監督、坂東正敬さんのFaceBookの投稿でした。
(https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2526350950818054&set=a.303580243095147&type=3&theater)
[以下本文]
SGTをもっとみんなに知ってもらいたいなぁ、、
帰り渋滞でも、また、来たいって帰りの渋滞の中でも話して欲しいなぁ、、
携帯でリアルにオンボードをスイッチングで全車見れるようにして欲しいなぁ、、
無線も全車、聞けるようにして欲しいなぁ、、
サーキットって運営大変だと思う。
たぶんSGTのお客様のお陰で
1年間の収益が出てると思うくらい。
毎日収入をプラスにするのは難しいと思う。
他のカテゴリーは、、まだまだ少ない気がする。
スーパーGTをメジャーする事によって
エントリーしているチームがスポンサー活躍しやすく
なる環境にしたいなぁ、、
今も沢山のお客様が来てくれるから
日本のモータースポーツではもちろん1番だと思う。
メジャーになれば
今のラグビーみたいに
ドライバーもテレビとか出れると思う。
メーカーから車も与えられると思う。
ラーメン屋でも声かけられると思う。
海外のドライバーも
日本のドライバーが海外挑戦みたいに
もっとバトン選手みたいに逆に挑戦して来てくれると思う。
WECやF1も素晴らしいけど
見てるお客様的にはSGTが1番じゃないかな?と僕は思う。
みんなはもっと盛り上げる為にはどうしたら良いと思う?
みんなの意見を
脇阪監督と伊藤監督と土屋監督や他のエントラントに伝えてみるよ。
みんなでもっと盛り上がるように
話をしてみるよ。
いつもお客様、スポンサー、自動車メーカー.タイヤメーカーには感謝だよ。
この盛り上がりを衰退させてはいけない。
(引用:坂東正敬さんFaceBook)
この投稿を見た瞬間に「SUPER GTを盛り上げる」「私たちの活動からモータースポーツ・モータリゼーションを発展させていく」という事を掲げて活動している僕たちWe Love SUPERGT!!と同じベクトルで、日々画策されている、モータースポーツの関係者・参加者側の方が沢山いる事を知りました。
「僕たちにできる事は何か」を常に考え、We Love SUPERGT!!として何ができるのか、どうすればいいのか考えていた時に、先ほどの投稿に出会い、正敬さんご本人にご連絡させて頂き、実現した今回の記事。
漠然と「盛り上げていく」という言葉を使っていますが、盛り上げていく為には、関係者や参加者だけの力で出来る事ではなく、ファンの皆さんの力があってようやく達成できるものだと思っています。
私たちの様な車好き・モータースポーツ好きだけの力では限界があります。どの様にすれば「モータースポーツ」を「スポーツ」としてメジャーにしていけるのかを日々考え、模索しています。
メディアとして・ファングループとして私たちには何ができるのか、どうやったら盛り上げていけるのかを、モータースポーツの業界に携わる全ての方々・関係者の皆様・選手の皆様と協力して、今後も活動していこうと思います。