2018年シーズンのGT500クラスを制したチーム国光。チームを率いる高橋国光さんは日本モータースポーツ黎明期から2輪、4輪両方で活躍し、JGTCでは59歳という還暦直前まで第一線で活躍し、日本のモータースポーツを牽引し続けている「高橋国光」さんのレースキャリアにスポットを当てて紹介します。
プロフィール、キャリア
1940年1月29日生まれ。東京都北多摩群小金井町(現在の小金井市)出身。愛称は「国さん」。
10代の頃から2輪の国内レースで活躍。1960年、20歳にしてホンダのワークスライダーに抜擢。ロードレース世界選手権に参戦し、1961年西ドイツGPにて初優勝しました。
これは日本人ライダーとしても初優勝でした。現在のチーム国光がゼッケン100番を使用するのは、この時使用したゼッケンが100番だったことが由来となっています。
1962年のマン島TTレースにて事故に遭遇し一時は生命も危ぶまれましたが、一命を取り止めカムバック。しかし事故後は以前程の速さを取り戻すことは出来なかったといいます。
1964年、4輪レースに転向し日産の追浜ワークスに加入。R380というプロトタイプマシンからストックカーまで幅広く乗りこなし、スカイラインGT-Rの通算50勝達成時のドライバーになりました。
70年代中盤に日産ワークスが活動を縮小すると富士GCやF2、JSPC、ル・マン24時間等に挑戦。
90年代にはチーム国光を結成し監督兼ドライバーを務めました。94年からは土屋圭市選手、飯田章選手とホンダNSXでル・マン24時間に挑戦し95年にはクラス優勝を達成しました。
1999年、59歳のシーズンを最後に現役を引退。生涯通算498レースに参戦し71勝を挙げました。
GTキャリア
高橋国光さんのGTキャリアは全てチーム国光からのエントリーでした。
デビューは94年のシーズン途中、第3戦富士から土屋圭市選手とポルシェで参戦。
デビュー戦は目の前でスピンした周回遅れと交錯し、リタイヤに終わりましたが、続く第4戦SUGOではGT-Rを駆る鈴木利男選手との競り合いを制し初優勝を果たしました。
95年までポルシェで参戦し、96年からはホンダNSXで参戦。この年はホンダ本格参戦前だったこともあり苦戦しましたが、97年にホンダが本格参戦を始めると飯田章選手とペアを組み随所で印象的な速さを見せました。
そして98年の第6戦MINEで2回目の優勝。99年第2戦富士で3回目の優勝を果たしました。この富士での優勝は59歳3ヶ月という両クラス通じてのGT最年長優勝記録として現在も破られていません。
99年最終戦もてぎの前にこの年限りでの現役引退を発表し、もてぎでのレース前にはGTシリーズ初の引退セレモニーが行われました。
ラストランとなったのはオートポリスでのオールスター戦。最後のレースでも2位表彰台を獲得し引退するドライバーとは思えないパフォーマンスを披露。
こうして多くの人々から「国さん」と呼ばれ親しまれた名ドライバーは最後まで第一線級の実力を維持したまま現役生活に別れを告げました。
またドライバーとしてだけではなく、シリーズを運営するGTアソシエイション(現在の株式会社GTアソシエイションとは別組織)の会長も務めていました。
まとめ
高橋国光さんは日本の近代モータースポーツ黎明期を牽引し、今も日本のモータースポーツ文化の発展に尽力されています。
59歳まで日本のトップカテゴリーに挑戦していただけでなく、自分よりも若いドライバーとも互角に渡り歩いたパフォーマンスは驚異的だったと言えるでしょう。
モータースポーツに限らず、全てのスポーツを含めてもまさにレジェンドです。
今後も監督として、時にはドライバーとしてサーキットで勇姿が見られることを願いたいと思います。