レーシングドライバーは圧倒的に男性が多い職業です。世界中には様々なレースカテゴリーが存在しますが、どのカテゴリーも参戦ドライバーの9割以上は男性と言えます。日本が誇るSUPER GT(JGTC)も例外ではなく、2013年以降は参戦ドライバーの全員が男性となっています。しかし、そんなレースの世界で女性ドライバーも数多くの活躍を見せています。GTシリーズにも、男性と比較して体力面でハンデを抱えながらも、果敢にレースに挑戦してきた女性ドライバーが存在しました。今回はGTに挑んだ5人の女性ドライバーを紹介します。
岡野谷純選手
最初に紹介するのは1995年に2戦に参戦した岡野谷純選手です。
岡野谷選手は1988年にレースデビュー。全日本選手権格式のレース、ジムカーナ、ダートトライアルなどのシリーズに参戦し、ドライバー以外にもA級ライセンス講習講師、各サーキット走行講師、サーキットレスキュー研修講師などの役職も務めていました。
GTでは1995年の開幕戦鈴鹿と第2戦富士の2戦に、OHYAMA RACINGから大山茂選手とペアを組みGT2クラスにエントリー。マシンはR32型のスカイラインGT-Rをドライブ。
この岡野谷選手がGT初の女性ドライバーとなりました。
すると岡野谷選手は開幕戦で2位表彰台を獲得。これは女性ドライバー初の表彰台であり、2017年シーズン終了時点で女性ドライバー唯一の表彰台となっています。
続く第2戦でも7位入賞を果たしこの年のドライバーズポイントで19ポイントを獲得しランキング13位に入りました。この19ポイント獲得、ランキング13位という記録も女性ドライバーのシーズン成績としては過去最高成績となっています。
岡野谷選手のレース活動についてはこちらの動画でご本人がインタビューに答えています。
三原じゅん子選手
続いて紹介するのは三原じゅん子選手です。
三原選手はかつては女優や歌手としても活躍しており、現在は参議院議員を務めていることでご存知の方も多いかと思います。
レースキャリアとしては1987年にデビュー。JTCやN1耐久等で活躍し、GTでは1996年から1998年まで参戦。
96年は第3戦仙台ハイランドと第4戦富士の2戦に参戦し最高成績は第4戦での8位、97年はシリーズフル参戦を果たし第5戦MINEでの9位がベストリザルトとなっています。
この2シーズンはFIRST RACING TEAMからトヨタMR2をドライブして参戦しました。ペアを組んだのは当時の夫である松永雅博選手であり夫婦でGTに参戦した唯一のケースとなっています。
98年は第2戦富士にKRAFTからトヨタキャバリエでエントリーしましたがレースは悪天候と重大事故により中止となり、以降参戦機会はありませんでした。
佐藤久実選手
3人目に紹介するのは佐藤久実選手です。
大学在学中の1986年にツーリングカーレースでレースデビュー。JTCやN1耐久といったツーリングカーや耐久レースで活躍しました。
2001年をもって一線からは退きましたが、近年もTOYOTA GAZOO RACINGからニュルブルクリンク24時間レースに参戦しており、2012年と2014年にはクラス優勝。
さらには一般に向けた講習会でインストラクターとしてドライビングレッスンも行っています。
GTには1997年から2001年の間に、女性ドライバーとしては歴代最多の26戦に参戦。キャバリエ、セリカ、MR-Sといったマシンをドライブしました。
結果としては9戦で入賞を果たしベストリザルトは97年第5戦MINEでの4位となっています。
ランキングでは97年、00年、01年の3シーズンで17位に入っています。
98年第2戦富士では先に紹介した三原じゅん子選手とペアを組みエントリー。レースは中止となりましたが、女性ドライバー同士がペアを組んでエントリーした唯一のケースとなっています。
井原慶子選手
4人目のドライバーは井原慶子選手です。
井原選手はレースデビュー前はモデル、レースクイーン等の活動をしており、レースクイーンとしてサーキットを訪れているうちに自らもレーシングドライバーを志して転身したというドライバーです。
1999年にフェラーリチャレンジでデビュー。その後フォーミュラやWEC、ル・マン24時間、ル・マンシリーズ等に参戦。ル・マンシリーズでは女性初の優勝を果たしました。
井原選手のキャリアは海外のレースが中心で日本国内のレース参戦は多くはありませんが、そんな中GTには、2003年の第5戦富士と第6戦もてぎの2戦にスポット参戦しました。
エントラントは、現在BRZで参戦しているR&D SPORTSで、マシンはポルシェ。
勝間田敦選手とのペアで参戦し、富士では16位、もてぎでは12位で完走しています。
シンディ・アレマン選手
最後に紹介するのは、2012年に参戦したシンディ・アレマン選手です。
シリーズがSUPER GTとなってから参戦した唯一の女性ドライバーであり、JGTC時代を含めてただ一人の外国人女性ドライバーです。
1999年にカートでレースデビューするとF3やインディライツ等、主にフォーミュラのレースに参戦しており箱車のレースはあまり多くはありませんでした。
そんなアレマン選手は2012年にHITOTSUYAMA RACINGからアウディR8でGT300にエントリー。ZENTの専務取締役でもある都筑晶裕選手とペアを組みました。
アレマン選手は開幕戦から第5戦の鈴鹿1000Kmまでの5戦に参戦し開幕戦で9位に入りましたが、入賞はこの1戦のみに留まりました。
チームは当初アレマン選手と全戦契約を結んだと発表していましたが、アレマン選手は第5戦を最後にチームを離脱。代わって2004年GT500チャンピオンのリチャード・ライアン選手がエントリーしました。
まとめ
女性は男性と比べると体力面でのハンデやスポンサー面の事情などでトップカテゴリーに参戦するには高いハードルがあると言われています。
近年は女性がレースに参戦しやすくなるような環境作りが進んで来ています。
単純な速さだけでは、ステップアップ出来ないのがレースの世界ではありますが、速いドライバーには性別関係無く道は開けて来ます。
今後上位のカテゴリーに女性ドライバーが増えてきて欲しいと思いますし、ドライバー以外にもレースに関わる女性や、モータースポーツに興味を持つ女性が増えて欲しいと筆者は思います。