RGSミラージュ
2000年第2戦富士。このレースで1台の珍しいマシンが登場しました。
かつてJGTCに参戦していたランボルギーニ・カウンタックを彷彿とさせるルックスで注目を集めたこのマシンは「RGSミラージュ」と言いました。
これはイギリスの小規模コンストラクター「Mirage Replicas」が生産・販売したカウンタックのレプリカです。
このマシンのロードカーは1台1台がハンドメイドで制作され、約100台が生産されたそうですが、レースカーは世界中でこの1台のみが生産されました。
「Mirage Replicas」のオーナーがレースがしたくてこのマシンを制作し、ホモロゲーションを取得する為にロードカーも生産したというレースの為に生まれたマシンです。
レースカーもハンドメイドで制作された為スペアパーツが無く、クラッシュした場合修復は困難になるという取り扱い注意なマシンだったそうです。
JGTC参戦の前には1997年にイギリスGT選手権に参戦しましたが好成績は残せず、その後のレギュレーション変更で活躍の場を失っていた所をスリランカの国民的レーシングドライバーであるディランタ・マラガムワ選手率いるチームスリランカがJGTCのGT500クラスに投入しました。
ドライバーはマラガムワ選手とスティーブ・ヤング選手。参戦2戦目からはヤング選手に代わり玉本秀幸選手がドライブしました。
マシンスペック
エンジンはシボレーのLS-1( 水冷V型8気筒OHVのNA)をミッドシップに搭載。排気量は5700cc。イギリスGTでは550馬力をマークしました。
全長は4332mm、全幅1904mm、全高1147mm、車重は1070Kg。
タイヤはヨコハマを使用しました。
戦績
第2戦~第4戦、第6戦の計4レースに参戦しましたが、フリー走行、予選とタイムはGT500には遠く及ばず、GT300の最後尾と同等のタイムしか記録出来ませんでした。
嘆願書を提出してもタイムを残せなかった為か、結局1度も決勝のグリッドに並ぶことなく参戦を終えることになってしまいました。
しかしこのマシンは2003年にTeam REYJUNがGT300に投入し復活を果たします。チームオーナー兼任のOSAMU選手、倉嶋新一選手、水谷竜也選手の3人で全5戦にエントリーしました。
GT300向けにモディファイされてエントリーしましたが、GT300でも上位を争うことは出来ず5戦でベストリザルトは第4戦での25位に留まりました。
その後の第5戦富士の練習走行中最終コーナーで大クラッシュ。メインフレームまでダメージを受けてしまいました。
これによりチームはミラージュでの参戦を終了することになりました。
アクシデント
前述した通りスペアパーツが存在しないというマシンでしたが、このマシンはどういう訳かJGTC参戦時はアクシデントに多く見舞われたマシンでありました。
2000年のデビュー戦では車両火災に遭遇し、JGTCと別にエントリーした鈴鹿1000kmでも車両火災が発生しました。
GT300にエントリーした2003年シーズンでも第3戦SUGOでは練習走行でオイルに乗りコースアウトすると同じオイルに乗った後続車が激突するというアクシデントに遭遇し、決勝出走を断念することになりました。
第5戦富士でのクラッシュを受けてOSAMU選手はマシンを廃車にする予定だったようですがその後1500万円を懸けて修復し復帰を目指していました。
しかし修復したマシンも鈴鹿で行われた合同テストで再びクラッシュ。これに嫌気が差したOSAMU選手はミラージュを諦めることになってしまいました。
まとめ
成績も残せず、アクシデントにも多く見舞われるという不運なマシンでしたが、そのスタイリングは多くの人気を集めました。
自動車メーカーではないコンストラクターが作ったマシンと言えば後にVEMACやGARAIYA、紫電、などが参戦してきましたが、その先駆けとなったマシンです。
それらのマシンは好成績を残してきましたが、このミラージュの苦労はそういった小規模コンストラクター製マシンの難しさを示したマシンだったように思います。