1994年のJGTC開幕から現在まで数多くの熱戦が展開されたSUPER GT。その熱戦は2017年までで13カ所のサーキットで行われてきました。このシリーズは開催サーキットを紹介します。第4回は日本モータースポーツ東の聖地、富士スピードウェイを特集します。
歴史
富士スピードウェイは霊峰富士の麓、静岡県駿東郡小山町に1966年1月にオープン、3月にこけら落としが行われました。略称は「FSW」、「FISCO」。
2000年にトヨタ自動車が買収し、現在のサーキット所有者となっています。
このサーキットは「日本ナスカー株式会社」という企業が日本でのNASCAR形式のレース開催を目的に建設をスタートさせました。当初はアメリカ式のオーバルコースを建設する予定でしたが、建設予定地の地形がオーバルコースの建設には適さないとしてNASCAR開催についての契約は白紙となりコースレイアウトもロードコースに変更されました。
サーキット名称が「スピードウェイ」となっているのも「日本ナスカー」時代の名残と言われています。
当時から様々なレースが開催されており、F1以前の日本グランプリ、日本初開催の24時間レース、インディーカー、日本Can-am海外といった招待レースも企画され、1976年には日本初開催のF1が行われました。
80年台初めにはサーキット廃止の危機に見舞われましたが、レース関係者の尽力によって廃止は免れました。
90年台に入るとサーキットの安全対策の不備や施設の老朽化が指摘されるようになり、90年代後半にはドライバーの死傷事故が続きました。このことから2003年9月から営業を停止してコース、施設の大規模改修を実施し2005年4月にリニューアルオープンしました。
現在はSGT、スーパー耐久、スーパーフォーミュラ、WEC世界耐久選手権といったビックイベントの他にも大小問わず様々なイベントが行われており、鈴鹿サーキットと並び日本モータースポーツの聖地となっています。
コースの特徴
開業当初のレイアウトは1周6Kmのコースと途中をショートカットする4kmのショートコースの2つのレイアウトが存在しました。
6Kmコースの最大の特徴は1コーナーにあたる30度バンクです。これもオーバル計画の名残だったと思われますが、ロードコースにこのようなバンクが存在するのは非常に珍しいケースです。
幾多の名勝負の舞台となった30度バンクですがその一方で重大事故も多発。1974年の富士GCレースにてドライバー2人が死亡するという事故が発生したことにより、バンクは廃止されました。現在はモニュメントとして一部が残されています。
以降はバンクをショートカットするショートコースが使用されるようになります。これが現在のレイアウトの原型になったものです。
80年代に安全性確保の為の改修が数回行われ、1987年には4.4kmのコースとなり、これが2003年まで使用されました。
現在のレイアウトは4.563km、コーナー数は16(左コーナー6、右コーナー10)、コース幅は15〜25m。最大下り勾配10.05%/最大上り勾配8.88%。FIAグレード1取得を取得しています。サーキットコース前半は旧コース同様のハイスピードコースですが、後半は性格が一変し上り勾配のテクニカルセクションとなっています。
幾多の改修が行われてきましたが、どの時代にも共通する特徴としては長いホームストレートが挙げられスリップストリームを使用した攻防が富士の象徴となっています。
GT開催について
このサーキットでのSGTレースは年2戦が開催されています。1994年の開幕戦の舞台となったサーキットで、SGTの歴史が始まった場所でもあります。
富士スピードウェイは全てのサーキットのなかで最多のレース開催数を誇ります。(2017年まででシリーズ戦45レース)
開催時期は年2戦のうち1戦は毎年ゴールデンウィークに固定されていますが、もう一つのレースについては開催時期が度々変更となっています。
- 1994年~2003年・・・8月上、中旬
- 2005年・・・9月下旬
- 2006年~2008年・・・11月上旬(シーズン最終戦)
- 2009年~2013年・・・9月上、中旬
- 2014年~・・・8月上旬
レース距離も時代によって変化があり、GWの一戦は
- 1994年~2000年、2011年・・・300km
- 2001年~2003年、2005年~2008年、2012年~・・・500km
- 2009年~2010年・・・400km
もう一つのレースについては
- 1994年~2002年、2011年・・・250km
- 2003年、2005年~・・・300km
となっています。
中止例・代替開催・特別戦
1998年第2戦は悪天候と重大事故により、2010年第7戦は集中豪雨により小山町周辺に甚大な被害が出たことによりそれぞれレースが中止となりました。(ともに代替開催は無し)
2003年第4戦はマレーシア・セパンサーキットで予定されていましたが、アジア地域での新型肺炎SARSの流行を受けて中止となり、富士スピードウェイで代替レースが行われました。
この時は、史上初の2ヒート制でレースが行われ2人のドライバーが1人でレースを行いました。レースは第1ヒートが30周給油無し、第2ヒートが50周給油有りの予定でしたが、当日の悪天候によりそれぞれ20周と30周ともに給油無しに短縮されました。
また、2010年から2013年にはフォーミュラニッポン(スーパーフォーミュラ)と共催で「富士スプリントカップ」が行われていました。レースは22周100kmでドライバー1人で行い、両クラス別にレースを開催したり、通常のレースと違いスタンディングスタートを採用するなどいつもとは違うレースが見られる人気イベントでした。
まとめ
SUPER GTのみならず日本のモータースポーツの歴史を語る上では欠かせないサーキットです。
首都圏から一番近い国際サーキットということもあり、ビックイベントでは多くのファンが詰めかけます。
筆者もここ数年GWに遠征しますが、その熱気には圧倒されるばかりです。
モータースポーツ人気が下火と言われている昨今ですが、この熱気はいつまでも続いてほしいと思っています。